座標の連立方程式を行っていた娘の話。
私も、昔を懐かしく思いながら、感覚的に思い出しながらみていたのですが、
Y=-X+1・2Y=5X-1 みたいな・・。
娘は、この2つの式を連立方程式でXとYを求めて出来上がり!
という形で、解いて偉そうにした。
応用問題になると詰まる
(3.-0)と(0.2)を通る直線と、点(-2,1)を通り、傾きが-3の直線との交点の座標を計算で求めなさい 的な問題。
これが分からないということで質問をしてきた。
そこで、質問してみた。
- 私:これ何を聞いてるの?どこが分からないの?
- 娘:分からない
と・・・・。
問題を分割して簡単にする
そこで、
問題を解く前に文章を理解すること。
- (3.-0)と(0.2)を通る直線と、点(-2,1)を通り、傾きが-3の直線の交点の座標を求めなさい
- ******を通る直線と******を通る直線の交点の座標を求めなさい。
これを
こんな感じで変換できる。
要するに、直線と直線がぶつかるところの座標を求める問題であることが分かる。
彼女は、
最初(ピンク枠)の2直線の交点の座標を求める問題はできたが、それは連立方程式を解いただけで、それが2本の線の交点でることを忘れていた感がある。
文章問題の場合、長文になればなるほど、どうしても、一気に文章を読んで1つの式で解いてしまおうとする思考になるから、
- 難しい!
- 難解だ!
- パニック!
- 分からない!
- 無理
と、問題への取り組みがネガティブになっていく。
特に算数の問題、
特に中学受験の問題は、問題を解くというより、理解力を試させる問題が増えている。
ということで彼女は、
- (3.-0)と(0.2)を通る直線
- (-2,1)、傾き-3の直線
おのおのの直線を出して、そこから交点を求めるという形で問題の解き方を理解したのである。
ただやればいい、出来ればいいではダメ
娘に限らず、
- やる
- 出来る
- 分かる
- ただ、やればいいというものではない。
- ただ、出来ればいいというわけでもない。
分かる・理解できているか?
ここが一番のポイントとなる。
子供に先生になってもらう
我が家では昔から、先生制度を実践している。
なんとなく分かってないそうなときは、
私が生徒になって、勉強を教えてもらうというもの。
以前、どこかで書いたような気がするが、
人に説明できるということは、それそのものを理解できている証拠。
これは、算数に限らず、国語や社会・理科でも・・・。
国語なら、
読んできた本の会話になったときに、その本の紹介してもらいます。
生徒の私は、著者のほかの本など、1つのキーワードから広げて質問します。
最初から答えることは期待していませんが、何度がやっているうちに娘の雑学として周辺の情報を集める習慣がつく。
同じ作家の別の本を読んだり・・・。
雑学として情報を入れている感じで見ています。
今回は、娘の勉強をみていて気づいたことを書いていました。